カーテンコール 〜GLAY全曲レビュー〜

主観とちょっとのふざけ心でGLAYの曲をレビューしていきます。GLAYファンの方の暇つぶしになれば、また初めてGLAYを聴く方やこれから聴いてみようと言う方の参考になれば嬉しいです。

RAIN(GLAY VERSION) (灰とダイヤモンド♯5)

YOSHIKIプロデュースの一曲でGLAYのメジャーデビューシングルにもなった。クレジットでは作詞:YOSHIKI 作曲:YOSHIKI/TAKUROとなっているが、この曲の前身となるJULIAが前年リリースされたGLAYのデモテープに収録されているので、実際のところ作曲はほぼTAKURO。歌詞についてはそれはもう芳醇なるYOSHIKIテイスト。

 

さて、このRAINなんだけど灰とダイヤモンドの中では個人的に異色な曲で、アルバムから浮いているようにも感じる。何故かってのを考えてみたんだけど、多分曲がバンドサウンドを極力廃したアコースティックなナンバーだからだと思う。ラスト曲の灰とダイヤモンドもアコースティックアレンジをしてある曲だけど、灰とダイヤモンドはアコギメインのアレンジになっているのに対してRAINはピアノとストリングスメインのアレンジだからだと思う。ギターなんて後半にちょろっとコードストロークがあるだけだ。メジャー版はバンドアレンジがしてあるんだけど、こっちのRAINはTERUのソロ曲ですって言われても全然納得できちゃうくらい。それくらいバンドサウンドとは無縁なアレンジがされている。

 

また、歌詞についてもこのアルバムには馴染んでいない気がする。上手く言えないんだけど、この灰とダイヤモンドに収録されてる曲ってどれも自分のことを歌ってるアルバムだと思ってる。それが自身の心の中の葛藤だったり、過去の回想だったりってテーマになっている。このRAINに関してはそういった自身の心の中の葛藤も歌ったりしてるけどサビの歌詞が『激しい雨の中で歌ってよ』『涙を止めて今語ってよ』『涙に濡れた薔薇を咲かせてよ』って自分と対をなす『あなた』への呼び掛けになっている。そこが違和感の根源だと思うし、『薔薇』っていう表現もなんとなくGLAYのイメージには合わない。ちなみにこのRAINの歌詞について『不器用な男が悩み苦しんでる中で悲しみに暮れる女性を慰めようとする。だってその女性の笑う顔こそその男の癒しであり、救いでもあるから』ってな感じに僕は捉えた。この辺はメジャー版のレビューのときに掘り下げていこうと思う。

 

また、例えばこれがRAINとしてじゃなくJULIAとしてリリースされてたとしても多分違和感は感じてたと思う。『優しい唄をMOON LIGHT 唄ってよ』ってJULIAの歌詞もあなたへの呼び掛けになってしまっているから。アレンジはどうなってたかわからないけどさ。

 

ここまで灰とダイヤモンドには合わない曲だとは言ってたけど、僕自身このRAINって曲は案外好きだったりする。メジャー版よりもこっちのインディー版の方が好き。バンドミュージックばかり聴いてるとドラムの音に疲れてしまうことって僕は多々あるんだけど、そんな時にこのRAINはスッと入ってくる。

 

また作詞がTAKUROじゃないって言うのも大きい。これから言うことはファンとしてTAKUROの歌詞が大好きなことが前提の上で言うんだけど、TAKUROが詩をつけた曲って聴き続けると疲れてしまうことがある。

 

世の中の作詞家って大きく分けて2通りいるって言うのが僕の持論なんだけど、その片方が抽象的な言葉遣いで聴き手に情景をイメージタイプの作詞家。もう片方が文字の情報量の多さで聴き手に情景をイメージさせるタイプの作詞家。今回のケースで比べてみると、YOSHIKIは前者でTAKUROは後者だと思う。やっぱり情報量が多いと疲れてしまう。例えば、同じ内容が書いてあるとして、イラスト付きの説明書とイラスト無しで文字でギッシリ埋まってる説明書だったら文字でギッシリの方が読んでて疲れちゃうよね?そんな感じ。

 

ちなみに僕はRAINを『不器用な男が悩み苦しんでる中で悲しみに暮れる女性を慰めようとする。だってその女性の笑う顔こそその男の癒しで救いでもあるから』って曲だってさっき書いたけど、この内容をTAKURO流に書いた曲がHAPPINESSだと思う。この辺の考察もまたおいおい。

 

そんな感じでRAINのレビューだったけど、やっぱりバラードのレビューは書いてる方もチャラける余裕が無くなる笑笑